さらば大宮

大学を卒業してからの6年間、私は京都市内の大宮という街に住んでいた。

私の20代のほとんどは、ここにあったと言っても過言ではない。
大学時代の下宿を離れて、ひとりの社会人としてスタートしたのもこの場所だった。


たくさんの人に出会うきっかけをくれた、自分にとって、かけがえのない街。
2022年2月、いよいよ離れることになった、思い出多き大宮。
今日は、そんな大宮について、懐かしい記憶をいくつか、書き残しておきたいと思うのだ。

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1.新卒と先輩(2016-2018)

2.徒歩3分の友達(2019-2021)

3.無職と飲み会(2020-2021)

4.社畜は通勤する(2022)


1.新卒と先輩(2016-2018)


2016年3月、大学卒業を機に、私は大宮へと引っ越した。

自分の就職先は、全国転勤ありの会社であるにも関わらず、初めての勤務先は京都市内の二条城近辺であった。

職場に通いやすく、バンド練習のある大阪へのアクセスも良い場所に住みたい!と考えると、大宮一択、即決だった。
大宮駅は、阪急京都線の沿線で、梅田駅まで40分もかからないのだ。

職場へは自転車で15分。
とても恵まれた環境である。



新卒で入社して、まだ右も左も分からないまま走り回っていた5月頃。
プライベートもないような日々に、ひとつ、嬉しいニュースがあった。

当時、OJTを担当する上司に無視されたり虐められたりして、毎日心が折れそうになるなか、自分にいつも仕事を親身に教えてくれる先輩がいた。
そして、その先輩が大宮に住んでいるということが分かったのである。


それからの仕事や生活は、なんだかとても楽しくて、あっという間に時間が過ぎていったように思う。


例えば、少し多めに残業した仕事終わり。
「岡本さん、ラーメン食べに行こ~」
と誘ってくれた先輩と、山下醤造を食べに行ったり。

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試験の前は一緒にガストで勉強したり。


嫌味な上司にムカついた日は、大宮界隈の居酒屋やバーをハシゴして、夜遅くまで喋り倒したりもしていた。


そんな先輩がいたから、私は仕事や大宮という場所に気持ちがすんなり馴染めたんだなぁという気がする。


色々な店に行ったけれど、私はイタリアンバルのTreottoで小さなパスタをつつきあっているのが好きだった。

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行きつけの店ほど写真がない説(何故かメニューの写真を貼る)


休日のモーニングは駅前ロータリーのハットリーへ。私はいつもホットドッグを選ぶ。喫茶店で待ち合わせをするのが好きだった。いつもより眠そうな風貌の先輩が遅れてやってくるのである。

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こんな楽しい日々が、永遠に続けば。
そう思うのは人間の性だけど、数年経ち、先輩は、転職し、大宮を去ることとなった。
悲しいけれど、これはおめでたいことでもあるのだ。


そうこうするうちに、引っ越しの整理をして、使っていない綺麗な衣装ケースと陳建一のすき焼き鍋をくれたのが最後、
先輩は東京へと旅立って行った。

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寂しかったけれど、陳建一で少し笑えた。


2.徒歩3分の友達(2019-2021)


2019年の3月、私の生活に転機が訪れた。

突然、徒歩3分の距離に親しい友達が出来たのである。


親しい友達が、そんな急に出来る訳ないでしょ……と思うのは当然、だけど、本当に突然のことだった。

面識のない女の子と急に親しくなったのは、共通の友人に「二人とも家近いんやから友達になったらええやん!」と紹介されたのが始まりだった。


私は、この春に大宮に引っ越してきたという、会ったこともない女の子の家で行われる鍋パーティーにノコノコと参加して、その次の週には手料理を食べに行って、そのまま夜泊まるぐらいに、一瞬で仲良くなっていたのである。


親しくなってからは、週に1度くらいのペースでずっと会っていたような気がする。道端でも何度も遭遇した。

鍋パーティー、たこ焼きパーティー、餃子パーティー、手巻き寿司パーティー、バーベキュー、クリスマスケーキ会、合同お誕生日会、映画鑑賞会、忘年会、新年会、なんでも一緒にやったし、

カレーを作ったからと呼んで、

ケーキを焼いたらまた呼んで、

聞いてほしい話があるときは家に行って、美味しい紅茶を淹れながら喋る。

「徒歩3分が遠い!」とゴネて、自分の家に帰らず、そのまま泊まったりしていた。本当に、お互いの家が居心地良かったのである。

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他にも、なんでもない夜に、二条城の周りや鴨川まで散歩に行って、仕事の話や恋愛の話、色々なことを語り合ったり、
休日の昼間には、一緒に家電量販店や家具屋さんを見に行ったりもした。

なんてローカルな遊び。社会人で、ご近所に住んでいる者たちだけに許された遊びである。

一緒に遊んだ回数なんて、もう本当に数えきれないくらいに、遊んだと思う。

思い出して書いているだけで、なんて幸せな日常だったんだろうとしみじみする。


彼女は大宮に住むのが「初めての一人暮らし」だったということで、彼女にとっても、この日常が、かけがえのない想い出になってくれていたらいいなぁ、と私は心から思っている。

彼女もまた、私と1ヶ月違いで、大宮から去ることになった。
お互い、新しい場所で、素敵な新生活を送ろうね。
そんなこと、こんなところで書かなくたって、今でも毎週LINEをしているんだけど。

3.無職と飲み会(2020-2021)


世はコロナ禍。

同時にニートと化した岡本であったが、この頃から大宮で行われる友人達の飲み会に参加することが増えていった。


これは賛否両論あるのは承知なのだが、大宮は緊急事態宣言下でも、時間制限なく、バリバリ酒類の提供をしている飲み屋が非常に多かった。

河原町や京都駅の方が、店を閉めている割合は圧倒的に高かったと思う。
言わば、大宮は無法地帯として、酒飲みが集まってくる街になりつつあったのである。


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大宮に住んでいるからと、友達が飲み会にたくさん誘ってくれるのは、とてもありがたくて嬉しかった。
ニートにとっては、人間との交流は必要不可欠なものである。


平日から、ハイカラ亭、談、WTeなんかで飲み会をするようなことが多かったと思う。
もはや同じ店に行きすぎて、メニューに飽きたりもした。ハイカラ亭ではもやしばかり食べていたし、談は豚しょうが焼きにピーマンが入っているのがお気に入りだったし、WTeでは必ずデカい肉を食べていた。

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デカい肉


同じ店に馬鹿みたいに通うのが、なんだか居心地がよくて楽しかったし、自分には今までそういう経験がなかったから、なんだかとても良いものであった。

上記の店以外にも、王将1号店や、鳥獣戯画、melpo、雷、一恵など、お気に入りの場所はたくさんあって、大宮は本当に居心地の良い街だったんだなぁと思う。


当たり前の日常ほど、書き残さない。忘れないと思っていて、忘れてしまう。
それは少し悲しいから、今回は敢えてそんなことばっかりをたくさん書き残している。


4.社畜は通勤する(2022)


長い無職生活を経て、ついに私も再就職をする時が来た。

今月中には滋賀に転居するが、現在は大宮から滋賀へ電車通勤している。


往復3時間。5時半起床、6時半に家を出て、21時に退勤したら、23時に帰宅する。

キツいのはキツいんだけど、やってみたら案外どうにかなるもので、平日にお金を使うことがなくなって、節約には成功しているようである。

社畜らしい生活を、短期間限定で経験できるのも、それはそれで面白いものである。


今は、飲み会なんて行かないし、友達にも中々会う時間が取れないし、でも仕事は楽しくて、こんな日常もあるんだなぁと新鮮な気持ちで過ごしている。


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大宮で過ごした6年間は、私の楽しい20代の象徴みたいな時間だ。

ここには書いたようなことは、そのほんの一部分である。
お気に入りの店も、一緒に時間を過ごした人も、他にだってたくさんある。



みんなには愛している街がありますか?



子供の頃から親が転勤族だった私は、ずっと、これという地元はないまま人生を過ごしてきた。
数えてみたら、いちばん長く住んだ場所が、この大宮になっていた。


街を愛することで、街に愛される、生活に色が付く、暮らしが息づく。


そんな風に思えた、大切な街でした。



また飲みに来るときはよろしくね。


さらば、大宮。