「氏名」について思うこと

2022年7月、私は結婚をした。

そして、苗字が変わった。夫の姓を名乗るようになったからである。



はっきり言ってしまえば、私は自分の姓にこだわりが無い。旧姓よりは新姓の方が気に入っている。病院で新姓で呼ばれることにも、すぐ慣れたし、違和感も抵抗もなかった。もちろん、名義変更の手続きは面倒ではあったのだけど。


むしろ、私は、旧姓での「氏名」が嫌いだった。

嫌いになり始めたのは、大学を卒業して、仕事を始めた22歳の頃だったと記憶している。

理由は大きく分けて二つ。

一つ目は、家庭に起因する理由。二つ目は、ネットストーキングに起因する理由である。

今回は、「氏名」について思うこと、について、書く。




①家庭に起因する理由

2016年、大学を卒業して、就職した春。入職1年目の私は、ずっと怯えていた。

親族が勤務先に押しかけてくることを。


当時、色々な状況が悪く、厄介な親族に勤務先を特定されてしまった自分は、職場にかかってくる嫌がらせの電話に悩まされていた。

「こんな非常識な嫌がらせ電話をかけてくる人間ならば、いつ実際に足を運んでくるか分からない」

自分は、自分の血族や氏名に嫌気が差すようになっていた。この忌まわしい名前を変えたい、という思いに捉われ、毎日そのことばかり考えている時期があった。


一度、本気で名前を変更しようとこころみて、家庭裁判所に「名の変更許可」を申し立てしようとしたが、
「この申請理由では間違いなく棄却されるので、通名での使用年数を重ねてから申し立てし直した方が良い。一度棄却されると、余計に申請が通りにくくなる」
と裁判所事務官に全力で止められてしまい、仕方なく撤回した。

自分の親族には、戸籍名を変更している人が何人かいるようで、自分の決意さえあれば簡単に変更できるものと思っていたから、苦虫を噛み潰したような気持ちになったのを覚えている。



上記の経験から、私は転職を機に、戸籍名ではなく「通名で勤務するようにしている。そして、勤務先は、実の親にも教えていない。また親族に特定されれば、毎日、怯えながら過ごす羽目になるからだ。

通名使用を許可してくれた管理職には、頭が上がらない思いである。


ちなみに、今は職場で「旧姓の通名」で勤務しており、健康保険証などの事務手続きは「新姓の戸籍名」となっているので、勤務名と本名が一文字も一致しておらず、事務所で度々混乱を招いている。本当に申し訳ない。面倒な人間であることは、百も承知である。

でも、自分の希望する名前で働くことが出来ることが、こんなにも安心できることだなんて、思わなかった。

何も文句を言わずに、通名使用を認めてくれるだけで、ずっとこの職場で頑張りたいなと思えるぐらい大きなことである。



②ネットストーキングに起因する理由


本名で音楽活動をしたことがある人は、絶対に全員が悩んだことがあるであろう。
ネットストーキング、通称「ネトスト」である。

本名での活動履歴については、後悔しているともしていないとも言い難い。
多くの人に自分の名前を知ってもらえたし、当時、他にしっくりする活動名も思いつかなったのも事実である。
あとは、活動名を本名に定めた20歳頃は、おそらく漠然と性善説を信じていたので、後になって職場の人にネトストされて悪口を言われたり嫌がらせを受けたりするなんて思ってもいなかった。(そういう虐めが起こらない職場も稀には存在するらしいが…)



ネトストは、本来は本名の問題ではない、と私は思っている。特定されやすさが大幅に増すだけだ。


新卒で働いていた職場では、活動名が本名ではないにも関わらず、なぜか活動名とTwitterを特定されて、私よりも酷い嫌がらせを受けているラッパーの先輩がいた。


入職してまだ1ヵ月も経たない頃、多くの職員が昼食を取る小部屋で弁当を食べていたとき、YouTubeに上がっているラッパーの先輩のライブ動画を見ながら大笑いしている集団がいて、背筋が凍った。
その先輩の楽曲やラップは、とてもクールで格好良いと私は思ったが、音楽に興味もなければ、人の噂をしないと呼吸が出来ないような人たちにとっては、「なにこれwwwww」「きもーい」という言葉で一蹴できてしまうものらしかった。

ラッパーの先輩は、職場での風当たりが強かったので、その小部屋で昼食を食べたりしなかったし、私も間もなく、その小部屋で昼食を食べることはなくなった。
きっと、私のライブ動画だって、見られて馬鹿にされていたんだろうとは思う。



当時の勤務先は、18歳以上の学生が通う専修学校だったから、多くの生徒もいた。もちろん、生徒も悪気なくネトストはしてくるが、私の偽アカウントを作って、校内での私の写真を盗撮して載せたりしてくるのには頭を抱えた。さすがに未成年、やって良いラインと悪いラインが分からないのである。

私は、Twitterもブログも、「誰に見られても困らない」ことしか書かないようにしているつもりだから、別に生徒に見られようが職場の人間に見られようが、何も支障はないと思っていた。


でも、世の中、そんなに甘くないんですよね。

ツイート内容を曲解して噂を流す人、ネトストや嫌がらせをして反応を楽しむ人、色々な人がいました。

ネトストして得たライブ情報をもとに、おふざけで突然ライブハウスにやってきて大騒ぎする生徒もいて、ライブハウスで本気の説教をしたこともあった。
もちろん、音楽に興味があって、ちゃんと卒業後にライブに来てくれた生徒たちのことは、嫌になんて思っていないし、とっても嬉しかったけどね。


上記のような問題も色々起こったから、私はTwitterのアカウントを非公開にするようになったけれど、さすがにバンドのレコ発(新しい音源の発売を記念したライブのこと)が迫っている時期には、宣伝面からも鍵を外したかった。鍵をつけたり、外したり、そんな時期を経ながら、私は今ではアカウント非公開を常とするようになってしまった。


本来、SNSは知らない人と出会ったり交流する可能性を秘めている場として魅力を感じていたので、ずっとアカウントが非公開なのは、悲しいことです。
でも、仕方がないかなと今は思う。
私が職場を異動して、私の旧姓を知る人がほとんどいなくなったら、また鍵を開ける時が来るかもしれないね。特定される可能性が、ぐんと減ると思うから。






ずっと抱え込んでいた私情を、つらつらと綴った訳だけれども、私は不思議に思っている。

どうして、自分の好きな「氏名」で生活できない人が、たくさんいるんだろう、と。

夫婦別姓の議論もそうだし、名の変更手続きの厳しさもそうだけれど、自分が気に入らない氏名で生きることは、随時苦痛を感じながら、日常生活を行うことになるから、つらくて苦しい。
もちろん、色々な論点があって、簡単に姓名にまつわる制度が変えられないのは、頭では理解している。

でも、自分の「氏名」のことで苦しむ人なんて、この世に一人もいないと良いな、と、綺麗事でも本気で思っている。


ああ、もう、こんなこと、わざわざ書かなければいいのに、と思う自分だって、いる。
普通に生きている人なら、悩むことがないようなことで、ずっと悩んできたのかもしれないとも思っている。


でも、いつもブログを更新した後には、記事に共鳴して、誰にも打ち明けられない悩みをDMで相談してくれる人たちが出てくる。
自分の苦しみが、誰かの救いになることもあるんだと思うと、書くことをやめられない。


いつか、歳を重ねて、世間体からこんなブログは書けなくなる日も来るんだろうとは思っている。
それでも、書けるうちは、書きたいうちは、苦しくても、書く。消すことはないです。それだけは絶対に。


今日も、こんな拙い文章を最後まで読んでくれてありがとうございました。



P.S.1
今は通名使用と新姓のおかげで、氏名で苦しむことは減ってきています。名の変更許可の申し立ては、10年ぐらい通名の使用履歴を積み重ねた後に、申請するかもしれないとは思っているけれど。


P.S.2
私は、どんな呼び方で呼ばれるのも嫌ではないし、苗字や名前、フルネーム、あだ名、どれでも、親しみをもって呼びかけてくれることがうれしいよ。
そこは、旧姓での氏名が嫌いだったとか、そういうことは関係ないです。