さよなら、もちもちくん

七夕になると必ず思い出すひとがいる。


文学部で同期だったもちもちくんの誕生日は7月7日だった。


 


彼が亡くなってから、もう2年も経つけれど、私にはいつまでもその実感がない。もちもちくんは26歳にならなかった。いまだにFacebookでは、彼の死を知らないひとが「誕生日おめでとうございます!」と書き込んでいるのが流れてきたりして、少し複雑な気持ちになる。ふと、もちもちくんのアカウントを辿ってみてみると、見慣れたその顔が少し幼く見えて、われわれは歳を取ったのだな、などと思った。


 


共通の友人たちが、もちもちくんのことを偲んだ呟きをしているのを見て、みんな同じ気持ちなのだと安心していたよ。


私は神奈川であった通夜葬式に行けなかったから、全然実感がわかないままで、なぜあの時、仕事を休んで参列しなかったのかと、いまでもなんとなく後悔したままでいる。大切なひとの冠婚葬祭は何があっても駆けつけなきゃいけないものだと今なら分かる 。


「家系ラーメンうまいンゴ」と いつもの調子で、ラーメンの写メつきのLINEメッセージでも送られてくるような気が、今でもしてしまうんだよな。


 


大学に入学した当初、自分はたいそう陰気な人間だったので、文学部にあまり友人がいなかったように思う。そもそも、ほとんど大学に行っていなかったし。


もちもちくんは、軽音サークルか何かの新歓で出会って以来、なにかと気さくに声をかけてくれた。授業の教室とか、中央食堂とかで。


正直、最初は彼のバリバリの関東弁に慣れなさすぎて「なんてキザな喋り方をするやつなんだ」と妙な気持ちになったりしていたし、友達も多そうだったから「陽キャだなぁ」とちょっと引いた目で見たりしていたけど、本当に分け隔てのないイイ奴なのだと、まもなく分かるようになった。(書いてて思ったけど、自分卑屈だな!)


 


自分が文学部に居場所を持てるきっかけをくれたのは、もちもちくんだったと心から思う。


(そういう意味ではかなりピロティにもかなり感謝している、彼は生きているけど)


他人の顔も名前も全く憶えない岡本だったけれど、もちもちくんがことあるごとに呼んでくれた飲み会で、少しずつ友達が出来た。たまには少し不平を言いつつも、いつも幹事とかやってくれたよなー。今も文学部のメンバーで飲み会をしたら100パーセントに限りなく近い確率で、もちもちくんの話題がのぼります。


 


みんなのなかで、彼は本当に生きているんだよな。出町柳の鳥貴族で、北白川の福仙楼で、丸太町のリカーマウンテンで、わたしはやっぱりもちもちくんのことを思い出す。


彼がくれた色々なものは、全然言葉でうまく表すことが出来るようなものではないのだけど、自分にとって大切な友人だったし、今もそうだよ、と思う。


 


眠れない夜に、個人的なblogを書いてしまい、あとで少し恥ずかしくなるかもしれない。


明日も仕事なので、そろそろ眠りにつくことにします。なんだか、こんな日は夢で逢えるような気もするよな。友達のことを忘れずに、思い出と一緒に歳をとってゆけたら、それはこの上なくうれしいことだし、岡本は、そうありたいね。